帰省した際、家族とドライブに行ってきました。その際懐かしの河佐峡に行ってみようということになり、
約20年ぶりに足を運んでみました。
昔はよく親に連れられて釣りや遊泳で遊んだものです。
水質の変化により遊泳禁止されてからは行くこともなくなり、八田原ダム出来上がってから今回で初再訪です。
ということで、道のりは省略して・・・ ここは広島県府中市の八田原ダムの堤防の上です。
下のマップでみると、A地点方面を堤防から見おろしていることになります。
ここからダムを迂回して河佐峡に降りていきます。
頻繁に利用していたのは、河佐峡キャンプ場から上流へ数百メートルの地点だったはずですが、
記憶と合致する場所は無く、ダムの下まで来てしまいました。
下の写真はマップのA地点から下流を撮影
せっかくここまで来たんだから、懐かしの風景を見たい。そしてあの時の気持ちを思い出したい。
そんな思いでしたが・・・さてこれはマイッたぞ。
足を取られて溺れかけた淵も、釣りをしていた岩場も見つからない。
それとも記憶が曖昧なだけで、目の前に見えるのがそうなのか。
念のため子供のころの目線の高さで写してみましたが、まったくピンときません。
1.泳いでいた川の向かい側には鉄橋があり福塩線が走っていたこと。
2.カーブの手前だったこと。
3.川の中で泳ぐと場所によっては岩の上の大人の姿が見えなかったこと。
4.八田原駅は見たことがない。
こんな抽象的な条件なので、もしかしたらダムの底に沈んでしまったのではと思うようになりました。
子供だった僕だけならまだしも、両親が揃ってわからなければ望み薄。
ちょっと残念でしたが、帰路につきました。
そして後日、いろいろ調べてみました。
まず八田原ダムの歴史から(”八田原ダムのホームページ”から引用)
昭和42年11月 5日 ◆ 建設省(現国土交通省)からダム建設候補地を選定するため、地権者の山林試掘調査の申し入れ
昭和44年 4月 1日 ◆ 予備調査開始
昭和47年 4月23日 ◆ 試掘調査開始
昭和47年 8月28日 ◆ 予備調査終了。問題交渉の窓口を甲山町に依頼
昭和48年 4月16日 ◆ 建設省(現国土交通省)八田原ダム調査事務所開設。実施計画調査開始
昭和49年 9月 9日 ◆ 八田原ダム建設事業計画概要発表
昭和51年 4月 6日 ◆ 八田原ダム建設に関する基本計画の告示
昭和52年 1月 5日 ◆ 建設省(現国土交通省)土地測量開始 ←うちのばあさんが参加
昭和52年12月 9日 ◆ 物件調査開始
昭和57年 5月 8日 ◆ 八田原トンネル貫通式
昭和58年 6月 日 ◆ 干し上げ工事に着手
昭和58年11月 日 ◆ JR福塩線付替工事に着手
昭和60年 9月11日 ◆ 付替県道新涯トンネル貫通式
昭和61年 2月 6日 ◆ 八田原トンネル(国鉄)貫通式
昭和62年10月 日 ◆ 転流工工事に着手
昭和63年 3月12日 ◆ 八田原民族資料館起工式
昭和63年 7月 8日 ◆ JR福塩線トンネル貫通式
昭和63年 8月 8日 ◆ 本体工事に着手
平成元年 4月20日 ◆ JR福塩線付替開通式
平成元年 5月 日 ◆ 転流開始
平成元年 5月30日 ◆ 八田原駅廃止式
平成 2年 4月 5日 ◆ コンクリート打設開始
平成 2年 5月 日 ◆ 八田原ダム定礎式
平成 4年 3月31日 ◆ 八田原大橋完成
平成 5年 8月17日 ◆ ダム本体コンクリート打設完了
平成 6年 4月 日 ◆ 県道付替工事完成
平成 6年10月 3日 ◆ 水没記念碑除幕式
平成 6年10月21日 ◆ 試験湛水開始
平成 7年 4月 1日 ◆ 福塩線廃止に伴う代替交通機関乗車券交付の適用
平成 8年 4月 7日 ◆ 夢吊橋開通式
平成 9年 6月 4日 ◆ ダムサーチャージ水位達成。試験放流
平成 9年 7月 5日 ◆ 八田原ダム竣工式
平成 9年 8月 4日 ◆ 試験湛水完了
平成10年 4月 1日 ◆ 八田原ダム管理所に名称変更
こうしてみると、僕ら家族が遊んでいた時にも上流では工事がされていた可能性があるわけですが、
まったくそうした気配はありませんでした。母の「かみの方の○○で水が汚くなったけぇ泳げんわ」という言葉。
それはダム工事を指すものだったかは不明。もう一度母に聞いてみる必要ありそうです。
ちなみに調査中にこんなサイトを見つけました。→地図・空中写真閲覧サービス
全国各地の現在、過去の空中写真を高画質で閲覧出来るサイトです。米軍が撮影した写真まであって、
自宅近辺を見るだけでもかなり楽しめました。興味がある方は是非。